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続報!農村整備すごろく

  • 2008/04/09(水) 08:57:32

昨年紹介させていただきました、

「しまねの農村整備すごろく」

ですが、なんかすごいことになってるようです。
                     ★過去の紹介スレッドこちら
広報大賞で日本一となった模様で、
全国版のニュースで取り上げられたり、
海外の学校から問い合わせが来てるそうです。

開発に携わってこられた行政サイドの技術者さんのサイトにいろいろな経緯がありますので是非こちらもご覧ください。(このたび技術士(農業部門)に合格されたそうです!)
     ↓↓↓
Shimane Hands for India

感動したので、今一度ご報告いたしました。

道路特定財源について

  • 2008/02/26(火) 13:44:35

遅まきながら、道路特定財源見直しの話です。

私は、どちらかというと公共事業に寄りかかった企業に所属していますから、その点、公正な情報発信には難があるのかもしれないと考え、これまで意見を控えていましたが、ここで私見を述べます。

与党vs野党の論戦が続いている模様ですが、
争点としては、ざっと下記3項目ではないかと。

1)一般財源化するか、しないか?

2)暫定税率継続か、引き下げか?

3)一般財源化した後の用途は? 福祉?環境?地方へ交付?

ここで気になるのが、上記三つを同時並行で議論しようとして話がネジレて堂々巡りしていることです。
お互いが関連しあっているとはいえ、問題点を切り分けないと、話が進むワケがありません。
もともと相手のアゲアシをとることばかりを考えているからそうなるんでしょうけど、聞いている国民には理解しづらいし、とても頭のいい議員先生方のやることじゃないのでは?と思います。

そこで私は、なるべく問題を切り分けて私見を述べます。

まず、一般財源化には反対です。

理由は、税金の「転用」は絶対に良くないと思うからです。
本来、道路建設を目的として徴収した税金は、当初どおりの目的で使用するべきです。
余っているなら徴収を減らせばいいのであって、よそに回すのはおかしい。
(そもそも、余ってもいませんが、、、)
「今後は地球温暖化対策にも金が要るから、いろいろ使えるように一般財源しちゃえ!」
ってのは、もっともらしいけれど、話が飛躍し過ぎています。
たしかにガソリンが値上がりして、国民は苦しんでいます。
だけれども、痩せても枯れても、そんな話に飛びつくほど国民は馬鹿じゃないはず。

一般財源化するってことは、行政としては自由気ままに使えちゃうお金が増えることであり、逆に納税者から見れば、使用目的がハッキリしていないままに納める税金が増えることになります。
まさに、なあなあ、ごった煮のドンブリ勘定になります。

実際のところ、行政に携わる人々というのは、公共事業費の転用が上手です。
例えば、こういうカラクリもありえます。

農村に市町村道を付けたいけど道路整備事業にはお金が無い。
たまたま同じ地域の他事業に土木工事があり、建設機械進入用の仮設道が要る。
そこで「仮設道」の名目で必要以上に豪華な道路を建設する。
仮設道だけれど現状復旧せずに、道路は舗装して残し、地元住民が使う。
将来的には自治体へ移管し市町村道となる。


・・・つまり、書類上の理由が立てば、相当にアクロバティックな行政プロセス
が、まかり通る現実があります。

そういう“離れ業”を得意とする人々に、私たち国民の血であり肉であり骨である大切な税金を一般財源として行政に預けてしまうと、正直言って何に使われるか不安です。話をややこしくして煙に巻かれかねません。

福祉や、環境に金がかかるというけれど、それはそれ! 全く別に議論すべき問題です。
環境にお金が要るなら、転用などしないで、正々堂々と環境税を創設せて納めさせればいいのです。
目的がわかっていれば、国民は辛くても理解するでしょう。
福祉もしかり。福祉税を作ればいい。

その上で、道路建設の必要性は、これらとは切り離して議論して、お金が必要なら、必要分相応の税率を定めればよいし、
道路が不要なら、暫定税率を撤廃すればよいでしょう。
将来を見通して、目的別に必要最小限の税金を徴収する。それが基本じゃないでしょうか?

一般財源化を許してしまうと、そのシンプルな議論すら出来なくなってしまうんではないでしょうか?

国民の一人としては「必要だからこそ納める」
そう納得して、税金を納めたいのです。

リダンダンシー

  • 2007/11/30(金) 23:45:25

いきなり借り物の画像でアレですが、、、


我が家にほど近い、丘の上に建造された「キララ・トゥーリマキ風力発電所」です。
風車が2基回っています。

一つではなく二つあるのには理由があります。
「出力が2倍になるから」とか、そういうことではなくて、
リダンダンシー、つまり冗長性確保のため
です。

冗長性というのは、要するに、ある目的を果たすための手段を複数用意することで万一の事故などに備えることを言います。

参考⇒冗長性とは?


つまり、風車が二つあることで、もしも片方が停止しても、もう一方が機能を続けることで電力供給が途絶するリスクを大幅に低減しているわけです。
一つの風車が故障する確率が仮に1000分の1だとすると、2つが同時に故障する確率は1000分の1の2乗、つまり100万分の1にまで低減できるわけです。

リダンダンシーという言葉は近年の社会資本整備においても、災害に強い国土創りの名の下に多用されるようになりました。
たとえば、豪雨災害時の道路の寸断によって集落が孤立したり緊急車両が立ち往生しないように、必ず“迂回路”を設けておくのも、リダンダンシーの確保です。
つまり、上等な道路が既に1本整備済みの場合に「もう新しい道路なんて不必要だ」と短絡的に判断するのではなくて、災害時の安全確保のためには、どうしても最低2つの経路を用意しておかねば、ここ一番に“使えない国土”でしかない。というような議論をする際に鍵となる思想ですね。

似たものを二つ持ってるってのは、一見無駄にも見えますが、
システムの堅牢性を高めるためには、実は結構大切なことなんです。
特に、人命のようなかけがえのないものに関わる場合は、リダンダンシーを考えねばなりません。

二つあるっていいことだ。
人体の部位だって、2つ用意されているものが多い。
目も、鼻の穴も、腎臓も、肺も、睾丸やら卵巣も、、、
もっとも系統発生とか生物進化のことは専門外なので、もっと別の理由からなのかもしれませんけれど。
それでも、多くの生物が2個1対の臓器を持つデザインになっていることは、リダンダンシーを高めて生き残る戦略なんじゃないかと思えます。

私も…会社に自分がもう一人いたらなぁ、、、なんて思うことがあります。

お客様へ価値の提案

  • 2007/09/12(水) 00:20:50

公共工事であれ、住宅リフォーム業界であれ、今や、低価格競争が熾烈です。
それを顧客が最初に要求するからです。

出雲地方では、こういいます。

「ィェアスィェガ・ゴッツォ!」

えー、、、、イタリア語みたいですが、出雲弁でして
標準語に翻訳しますと「安いがご馳走」となり、意味は
「なにはともあれ、安ければ安いほどありがたい」
「いやむしろ、安けりゃ、なんだってOKだYo!」
という意味になります。

顧客のマインドとして、まず「ィェアスィェガ・ゴッツォ!」があるんです。
まあ、何だって安いに越したことはありません。わかります。
「とにかく一円でも安く物を買いたい!」
大変よくわかります。
しかし、この考え方には大きな問題があるんです。

それは、ここで判断の対象となっている価格というものが
イニシャルコスト(初期コスト)のみしか考慮されていないことです。

別に、箱ティッシュを1ケ買うというのなら、それで問題ないかもしれません。まさに主婦の発想です。

でも、それと同じマインドで、住宅リフォームを考えていいものでしょうか?
ティッシュはあっという間に使って無くなる消耗品ですが、住宅は違います。長い年月をそこで暮らします。維持管理にもコストがかかりますし(メンテナンスコスト)、最終的に解体するにもコストがかかります。
これらを総合したトータルコスト、あるいはライフサイクルコストを考えねば、本当に安いとは言えないはずです。
安くリフォームしても、しょっちゅう修繕していては意味がありません。
安い工事金額の提示に目が眩んで、長い目で見たときに損をしないようにしたいものです。

こうした中、一番重要で今後求められていくと思うのは、顧客の正当なジャッジです。本当に価値ある安さとは何か?

公共事業の発注主体ですら、それを十分に考えていません。
その証拠に、公共事業は入札によって受注者を決定しているんです。初期コストにあたる「応札額」が安いものが仕事をとるんです。
そうして初期コストを抑えたとしても、粗悪業者の施工により後々救いようの無い負債を抱えることも少なくありません。
彼等、発注担当者の口からは今日も
「ィエアスィェガ・ゴッツォ!」、、、です。うんざりです。

トンネルを、ダムを、道路を、、、箱ティッシュを買うのと同じ主婦感覚で買おうとしている。
そんなことがあっていいのか?

でもこれは彼らが非専門家なので、ある程度はしかたがない。
住宅や土木構造物の価値を測るための知識や見識がないのでしょうがない部分なんです。
ですから私達専門化の説明力、説明責任を果たす力が問われます。

いっしょになって、「ィエアスィェガ・ゴッツォ!」
に付き合ってばかりではマズイと思うんです。
本当に価値あるものは、ライフサイクルを通じて安く、ライフサイクルを通じて環境にやさしいはずです。こうしたライフサイクルの視点を顧客へ提案していかねばならないでしょう。

脱ダムの果てに

  • 2007/09/11(火) 12:00:17

長野県で記録的豪雨があったようですね。
高齢化率全国?1の集落において道路を含めたあらゆるライフラインが寸断され、一人暮らしのお年寄りが孤立したりで深刻な事態です。

長野といえば記憶に新しいのが「脱ダム宣言」です。
この宣言はとうの昔に撤回されたものではあるんですが、
これによって長野の河川砂防行政によるダム整備が大幅に停滞したことは間違いないでしょう。

このたびの大災害は、脱ダムの負の側面が発現したものです。
それと気付いているひとは少ないですが。

田中元知事の発案とはいえ、県民全体の総意として脱ダムを宣言した。
このとき、
今回のような豪雨による河川の増水が起こった場合の、ダムが無いことによる「災害への無防備さ」は、当然わかっていたわけであり、長野の人々は、いつか必ず起こるべくして起こる多大な被害については“受け入れる”ことを選んだわけです。

ただ、県民全員が正しい情報を与えられた上での脱ダムであったのかは、私にはわかりません。

その結果がこれである、と私は思ってしまった。

今年の梅雨時分の豪雨においても、四国の「さめうらダム」は流域の人名と資産を救いました。あれが無かったとしたら、今回の長野のような事態が毎年起こっているのでしょう。

実にわかりやすい。

ダムという言葉を「無駄な公共事業の代名詞」のように使う人は多いけれど、そういった短絡的な思い込みからくるイメージは、なるべく早く払拭するべきだと思っています。

報われない社会なのか

  • 2007/06/15(金) 10:53:49

お知り合いの粉砕骨折さんが、興味深い記事を書いてらっしゃいます。
【報われない社会って】へ

昨今、社会の様々な場面で格差が広がり、努力しても報われない社会になりつつあるというマスコミ報道に対して、意見を述べていらっしゃいます。
、、、そうかあ、、、、なるほど。
この記事を読ませていただいて、いろいろ考えてしまいました。

立場によって、いろんな意見はありましょうから、私は国土形成に携わる地質コンサルタントとして思うことを述べます。

私は基本的には、努力は必ず報われると考えています。

ただし、その、、、努力から報いが発現するまでのレスポンス
タイムラグ、これが様々だとおもうんですね。
頑張った報いは、なるべく速く欲しい!それは誰しも考えることでしょうね。
でも、今日頑張った分の報いを今日中に得る。
そういった日雇い労働的な報いは、あったとしても小さなものに限られるはずです。

逆に、大きい報いはかならずタイムラグがある気がします。
大きな報いほど、時間を置いて、緩やかにおとずれる、、、、
これがひとつの法則かもしれません。

その最たる例が、僕らが携わっている社会資本整備、ひらたく言えば公共事業です。

これは努力が報われるまでのタイムスパンがベラボーに長く、このあまりに長いタイムラグのお陰で、たとえ頑張っても、頑張った張本人は報われないことが多いです。

ダムだとか、大規模河川改修だとか、高速道路建設だとかそういうビッグプロジェクトの
直接の受益者は、公共事業を頑張ってやった世代の人達じゃなくて、
その子供とか孫とか“将来世代”、つまり“未来の私たち”になるんですね。

だから公共事業頑張っても、その本人は報われない。
でも、僕らは頑張るんですよ。未来の私達のために。
「公共事業なんて無駄だ!」って罵られようと、辞めるわけにはいかない。
「ダムなんていらない!」
「高速道路なんてもういらない!」

そう罵られるのも、、、ある意味当然。

だって今取り組んでる公共事業は、今の世代の国民が報われるためのものじゃないのだから。
だから、今の世代の国民から文句がでるのは、ある程度しかたがない。
そうじゃなくって、未来の世代のためにやっている。

そして何よりも大切なこと。

現在の私達は、実は既に報いを受けているってこと。
それに気付いていない人が多いだけ。

昭和の時代を生きた人々の
まさに血を吐くような死にもの狂いの頑張りが、
今の私達の生活を支えているんです。
戦後に壊滅した国土を
がんばって
がんばって
がんばって
そしてとうとう
こんなチンケな領土の中に
世界に冠たる豊かな国を
ゼロから創り出したんです。
その頑張った人たちの報い
まだ頑張ることなく僕達が受けているんです。

それを決して忘れてはいけない。

だから僕らも頑張るのは当然。
既に報われている恩返しをして未来へと繋げてゆく。
同世代の人々に不要といわれようと、
将来世代の人々が暮らす国土を創るんです。

僕らの世代だけが、先人の努力の成果のうえに あぐらをかいて
子孫が使うべき資源を食いつぶして、面白おかしく生きるわけには行かないんじゃないでしょうか。
それはきっと恥ずかしい。将来生まれ来る世代に、いつか笑われます。
そうです。
今こそ僕らが未来の子孫のために頑張る番なんです。

☆ ☆ ☆

さて、、、公共事業の話につい熱くなってしまいました。Sorry.
それはそれとして、ここからもっと一般的な話。

「報われない」とぼやく人は多いけれど、
コイン入れたらジュースが出てくるみたいな、
そんな脊髄反射的な報いを、ちと期待し過ぎじゃないでしょうかね?
今は報われたと感じられなくても
それは努力が報われるまでのプロセスであって、
もっと大きな報いが、必ずある!
そんなふうに、信じていきたいもんですね。

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